Written by まろにー

【保存食Lab】食べることは生きること「幸せの本質」を教えてくれたインタビュー

Interview

まだ寒さの残る2月、初々しい春の陽差しの中、兼ねてからずっと取材してみたかった保存食Labを訪ねた。

ちょうどお店の前の檸檬の木がモリモリと実っていて、新しい季節の訪れとともに眩しく輝いていた。

もう5〜6年程前だろうか‥ずっと前に来た時は、こんな立派な木になるなんて微塵も思っていなかった。

「頼りないちっぽけな苗木だったのになぁ‥」なんて思い出して、すごく驚いたり、生命の不思議について大袈裟にも感動したりしていた。私が海外に住んで四苦八苦している間にもきっとこの木は日々成長して、いつかしっかり実をつけることを目指して地道に淡々と生きていたんだろうなぁって、地中に張り巡らされているであろう途方も無い根っこのことを想像したりしながら、とても感慨深い気持ちになった。

この檸檬の木の成長と等しく、まっとうにただ目指すべき未来のためにいつでも努力を惜しまず淡々と生きている人というのが、今回インタビューさせていただいた『保存食Lab』のナホさんなのである。

『幸せの本質』を教えてくれたインタビュー

毎度のことながら前置きが長くなってしまったのだけれど、今回の取材は生きるということの核心に触れるような、ナホさんが昔から大切にされている『幸せの本質』のような深い部分に触れることができたインタビューだったと思う。

日々生きているだけでいろんな迷いが襲ったり、疲れたり焦ったりするけれど、少し立ち止まってこのインタビューに触れてほしいと思う。

ナホさんのまっすぐな真面目さ、オタクさをそっと感じて抱きしめ「ただ好きなことを一生懸命に貫いていく」ことの強さ、素直さカッコ良さを見つけてほしいなと思う。

『保存食Lab』ナホさんの経歴について

まずは、ナホさんがどのようにして今のお仕事にたどり着いたのか、簡単にまとめていきたいと思う。

彼女のことを語る上で、やはり切り離せないのが京丹後出身であるということ、そして京都の芸術大学で陶芸を学んでいたということ。

その過程で出会った人々や経験を通じて、現在の『保存食Lab』と言う場所が形成されていったワケを少しずつ紐解いていけたらなと思う。

そもそもナホさんと言えば、すでに日本におけるケータリング界のレジェンドとも言うべき存在で、ナホさんたちが後輩に残してきた衝撃やエンターテイメントは『ケータリング』という単なる「便利なもの」という概念を超えていると言えるだろう。そして、その誰もが憧れていたキラキラした第一線という立場を惜しげも無く譲り、振り返る暇もなく全く新しい科学反応を起こして『保存食Lab』という場所を作り出していったのである。

故郷・京丹後で見つめた『食』のこと

ナホさんの生まれ故郷である京丹後と言えば、海の幸から山の幸に至るまでいろんな『食』が充実した場所であり、すべての食材が新鮮で、無論それは料理家として生きる上でこの上なく恵まれた土地であると言えるのでは無いだろうか。

とは言え、生まれ故郷・京丹後の抱える『食』の現実について、幼い頃から隣り合わせで生きてきた彼女は、季節の移り変わりと共に当たり前のように生まれる余剰野菜や、いわゆるB級品と言われる市場には絶対に出回らない、ただ捨てられていくだけの野菜たち、生き生きとした美味しい食材がただ腐敗していくのを待っているだけと言う現実を、その目でまざまざと見てきたと言う。

「コレ、どうにかできないかな?」

ただシンプルにそう思ったと言う。

実際に、彼女の実家は農家ではなくても自分たちが食べる分の野菜くらいは自分たちの手で作って生活するのが普通だったそう。その中で余分に余ってしまったものは、お漬物にしたり干物にしたりと、いわゆる『保存食』として慎ましくも実直な方法で腐らせない努力をしてきたという。

特に彼女の祖母が淡々と日々の暮らしの中でやっていた、日本古来からの当たり前の生活の知恵であったはずの『保存食』は、ナホさんの心の深い部分でずっとキラキラと息づいているんだと思う。

ナホさんは、それらを子どもの頃から風景の一部として見てきたと言う。

「すでにそこにある美味しいものたちをさらに美味しくしてくれる保存食」と言う生活の知恵を、まるで自然がくれた『優しい魔法』みたいにわくわくした気持ちで見てきたのかもしれない。

バリバリの『進学エリートコース』から『芸術大学進学』への異例の路線チェンジ

彼女の堅実さ真面目さ、そしてオタク気質については、そのキラキラした外見やInstagramなどのSNSからはなかなか垣間見ることができないが、ひとたびその蓋を開けてみると、やっていることは非常に地味であり緻密だ。

まるで研究家のような溢れる情熱と探究心から、彼女が目指す保存食は生み出されていく。

そして、その強い精神力を育てたのは、もともとバリバリの『進学エリートコース』志望だったことが大きいのではないだろうか。

彼女のご両親が与えてくれた『エリートコース』と言う一つの幸せになるための選択肢。まっすぐで素直なナホさんは、子どもの頃からしっかりとその意味を理解し、とにかくガムシャラに言われるがままに努力し進んできたと言う。

そしてそれは、ある時大きく爆発した。

爆発というよりも、むしろずっと大切に温めて育てていたものがやっと土から飛び出して芽を出したと言った方が正しいのかもしれない。

彼女がずっと、ただただ好きだったこと。

芸術やモノづくりと言う世界。

エリートコースをひた走る、高校2年の夏の終わり、もう後には引けない状況でその爆発は起こったと言う。きっかけは、ずっと仲の良かった友人。

良きライバルだと思っていた友人が、ある時それを実行した。

『進路変更』という勇気。その潔さシンプルさは、彼女の心をも突き動かしてしまったと言う。ずっと諦めていた、見て見ぬ振りをして過ごしてきた『芸術大学へ行きたい』と言う想い。

誰もがライバルであり誰よりも勉強をして、ただただ志望校に受かることだけを目標にしていた高校生活の後半で、彼女は親の反対を押し切り決断をした。それは、ただシンプルに『自分の好きなことをやりたい』と言う気持ちが勝った瞬間だったという。

「ここで我慢したら、きっと一生後悔する」そんな確信を持ったと言う。

誰にも邪魔されるべきではない、彼女の人生であり、そして誰のせいにもできない未来の自分の在り方。

それを決定付ける進学という一つの大きな決断を、その瞬間しっかりと理解し、心に素直になって決めたのである。

 

ナホさんは、高校時代の自分を振り返り「まさか自分が『食』を主軸に活動をすることになるなんて、当時は想像もしてなかった」と言う。

もともと、自炊すらほとんどしてこなかったし自分で料理を作ったのも、陶芸をしていたことがきっかけで作らざるを得ない状況になって初めて真剣に向き合う機会を得たと言う。

「食」に携わる上で大切にしたい『保存食=ときめきタイム』

さて、それではまず、ナホさんが考える『保存食』という概念について、改めてすり合わせておきたいと思う。

『保存食』と聞くと大抵の人が、いわゆるお味噌やお醤油・お漬物・乾物などの発酵食品、つまりそれらをひっくるめて要するに「長期保存が可能なもの」という認識をしていると思う。

それはどちらかと言えば便宜上ひとまとめに『保存食』と言っているだけで、その言葉だけ聞いてもそれほどには魅力的なものに映らないのではないだろうか。

むしろ「お寿司」「カツ丼」「鰻重」「ハンバーグ」「ピザ」「ラーメン」etc.. などの単語を聞いた時に感じる、ときめきやその瞬間によだれが出そうになるような感覚とは、おそらく無縁だと言えるだろうと思う。

ではなぜ、『保存食=ときめきタイム』なのだろうか?

ナホさんが何よりも大切にしていることは『保存食=保存が効くこと』だけでは決して無いということ。

メリットの部分で言えばもちろん大事なことだけれど、それ以上にもっと大切なことは食べた時や食事が運ばれた時に感じるようなわくわくした気持ち、嬉しさが込み上げてくるような『ときめき』までをもひっくるめて保存しておくということだろうと思う。

『保存食=ときめきタイム』わくわくを封じ込めておく魔法

わくわくした感情や「幸せだ」と感じる瞬間というのは、1日に何回あるだろうか?

それはもちろん、その日によっても違うし人それぞれの価値観によっても全く違うと思う。ましてや忙しくて、そんなことを振り返って考えている暇などないと怒る人もいるかもしれない。

そして、それらの「幸せ」は無常にも一瞬で終わってしまい、ふわっと「幸せ」を感じた次の瞬間には別の何かが押し寄せて消えてしまったりする。

人は1日に1回〜3回(人によって食事を摂る回数はさまざま)、確実に何かを食べて生きている。そしてその食事の時間の中で少なからず「幸せだ」と至福の時間を静かに感じてるのではないだろうか?

『食事』とは、生命を維持する上で必要不可欠だけれど、それ以上に何か幸せの根源にも似たような大切なことのような気がしている。ただ栄養を摂るだけでいいと言うのなら、もはやサプリメントやタンパク質を補うためのプロテイン、その他の栄養源も何かの代替品で摂取すれば十分ではないか。

むしろその方が簡単だし、時間もかからない、効率だけを重要視するのであればそのような生き方も悪くないかもしれない。だけど大半の人が「時間が効率的に使えるようになる」と言う理由だけでは、食事の時間を犠牲にしたりはしない。

そう言った意味で『食事』とは、単純に効率化できないものだと言えるのかもしれない。確かに、野菜をカットして売っていたり冷凍食品や混ぜるだけで作れるようなものが登場したり、レトルト食品だったりと便利な食材は大量にあり、そして今もずっと増え続けている。

そして『保存食』もまた、どちらかといえば、そのような便利食材の類に属すると思う。それは必要に応じて調理を簡単にするために時短を叶えてくれたり、料理の薬味として味変の役割を担ってくれたりする。

つまりいつも何かの料理の脇役として選択肢の一つとしてあるだけで、メインとして『保存食』を捉えている人は少ないのではないだろうか。

やはりこれもまた、何かの代替品だと言えるのではないか。お腹が空いた時に「どうしても食べたくて仕方がない」という欲望の選択肢の中に、例えば乾物やお漬物などの保存食はすぐに思い浮かばないと思う。

だから、保存食とはそういう脇役であり、誰もが羨むような主役の座を勝ち取れる場面は残念ながら少ない。

しかしながら時に、名脇役とは一番目立っていたはずの主役よりも心の奥深くでじんわりと残っていたりすることがある。そして、それはまた時間が経っても思い出してしまい何度も味わいたくなるような不思議な魅力を持っていたりするものである。

どこか懐かしいような、少し切ないような嬉しいような感覚。

だから何度も頭の中で反芻して、思い出しては咀嚼してその感動を思い出そうとする。

やはり「食べること」は生きることそのものだからこそ、その感動はどうしても忘れられなかったりする。

さて、ナホさんが愛してやまない『食のある風景』とは、そういった毎日のたわいも無い食事の中にたくさん隠れている。そのストーリーの中にそっとキラキラした彩りを添えてくれる『保存食』という選択肢。

忙しなく通り過ぎていく日常の中に訪れる、食事を通して感じる「幸せ」とは、なんとも儚くも愛おしい。

「妥協はしたくない」ストイックに期待値を超えていく

ナホさんがこだわる『ときめきタイム』が封じ込められた瓶には、その食材を手にした瞬間のわくわくした気持ち、そしてそれらを実際に食べるときに感じる瞬間の『ときめき』の感情をも含んだニュアンスがある。

 

「常に期待値を超えていきたい」

 

これは、ナホさんがいつも当たり前に思っていることだそうで、やはり何より大切にしたいことは「食を通して感動してほしい」ということ。

ただお腹が空いたからなんでも良いという理由で食べるということではなく、それがどんなものであったとしても、やはり感動やときめきがあればその時間は何十倍・何百倍にも幸せな時間となって、人々を笑顔にしてくれる。

 

だからこそ、ナホさんが『ときめきタイム』という魔法を使って封じ込めたそれらは、ごく一般的なただ保存が効くことだけを重要視したような『何かの代替品』とは、似て非なるものであると言えると思う。

ただ長持ちすれば良いとか、保存期間を長くするために塩分を多くしたり甘くしすぎたりなどの妥協品や、まして余った食材を腐らせないために考えられた『仕方なく作られた何か』では決してない。

美味しいものを分かち合うこと「とにかくホームパーティーが好きやねん」

「もうとにかく、ホームパーティーが好きやねん」

インタビューが始まってすぐ「人とずっと一緒にいることが苦手だ」と話していたナホさんは、でも最後に「ホームパーティーが大好き」だとも話してくれた。

「ここが一番のクリエイティブの根底にあるし、自分の原点だとも思う」そういった正直な気持ちを教えてくれた。

みんなが楽しそうに『美味しいものを分かち合ってキラキラしている時間』その一瞬一瞬が、ナホさんにとって何よりの『ときめきタイム』なのだろう。

 

もともと芸術家気質であり、一人黙々と没頭して打ち込むことが大好きなナホさん。

インタビューの中でたびたび自身のことを、ただの『オタク』だと屈託なく笑って話す彼女は、一転してやはり人が大好きであり、ホームパーティーが何よりの幸せな時間であるということも教えてくれた。

それは、誰もが感じる『幸せの本質』であり、日々必死で生きていればいるほど、なおその幸せは大きいのかもしれない。